沖縄BDのコメント2:日本政府の回答について

2012年08月07日/ 国連

「総論」について
前回は②「辺野古移設計画」③「高江ヘリパッド建設計画」④「沖縄振興計画の概要」について書きましたが、今回は日本政府の回答の一番最初に書かれている①「総論」の問題点について指摘しておきます。

まずおさえておきたいことは、「総論」では、日本政府の「人種差別」に関する主張/ロジックが展開されているということ。そしてこの主張/ロジックに基づいて、②「辺野古基地建設計画」と③「高江ヘリパッド建設」には人種差別的な要素はない、そしていかなる差別的な意図もない、という説明が続くのが日本政府の今回の回答の構造だということです。

日本政府の主張/ロジックは、

1)沖縄/琉球の人=日本人である
2)同じカテゴリー(人種)の人間同士で「人種差別」はできない/ない
3)だからこの「人種差別撤廃条約」に基づいて、基地集中の問題を訴えることはできない

というように整理できると思います。

しかしこれは本当に、ゴリ押しの主張/ロジックで、少し考えればいかに破綻しているかが分かります。

たとえば、沖縄の人に、「あなたは日本人ですか」と聞くと、そうだと答える人も多いと思います。しかし、それをもって日本政府が主張するような「沖縄/琉球の人=日本人」という結論にはならないはずです。なぜなら沖縄において「日本人」という言葉は、日本の国籍をもつ、あるいは国民であることを示すこととして日常的には使われているからです。

逆に言葉を少し変えて、沖縄/琉球の人に「あなたは日本民族ですか」と聞くと、答えに困る人は多いと思います。なぜなら、沖縄/琉球の人たちのアイデンティティーには「日本民族」としての要素は必ずしも入っていない場合が多いからです。

つまり、日本政府が続けてきた「沖縄/琉球の人=日本人」の主張/ロジックは、民族、国民、国籍というアイデンティティーの重層性を無視し、その区別を明確せずに展開してきたものだといえます。そしてそれは、沖縄の人々の沖縄/琉球のアイデンティティーの構築や維持について、きちんと検証もせずに展開してきたものだといえます。

「勝手に俺の民族のアイデンティティーを決めつけないでくれ。それこそ究極の人権侵害だ」と、日本政府に言いたいくらいです。


ではこの議論を踏まえて、「総論」について以下の2点を指摘しておきます。

1)人種差別撤廃条約の「人種差別」の定義について、条約批准国である日本の政府は、もう少しきちんと、そして誠実に理解することが必要です。

日本政府は、今回の回答で、

「本条約の適用対象となる「人種差別」とは、本条約第1条1に鑑み、社会通念上、生物学的諸特徴を共有するとされている人々の集団、及び社会通念上、文化的諸特徴を共有するとされている人々の集団並びにこれらの集団に属する個人につき、これらの諸特徴を有していることに基づく差別を対象とするものであると解される。」

としています。

注目するところは、人種差別が「生物学的諸特徴」「文化的諸特徴」を共有する個人の集団や集団に属する個人に対して行われる、という理解です。しかし、これは条約本文での人種差別の定義と比べると、非常に限られた、矮小化された解釈になっています。


まず条約本文の英語原文では、第1条1は以下のようになっています。
1. In this Convention, the term “racial discrimination” shall mean any distinction, exclusion, restriction or preference based on race, colour, descent, or national or ethnic origin which has the purpose or effect of nullifying or impairing the recognition, enjoyment or exercise, on an equal footing, of human rights and fundamental freedoms in the political, economic, social, cultural or any other field of public life.

外務省のこのページで読めます。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv.html


で、外務省の「仮訳」が、これです。
「1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。」

これも外務省のページで読めます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

少し本題から外れますが、この重要な「人種差別」の定義の部分で、外務省の和訳(仮訳)に問題があるということを指摘しておきます。そう、原文の「national」(国籍)にあたる和訳がありません。その変わりに「民族的若しくは種族的出身」というとなっており、本条約の他の条項をみると、ethnicの部分が「民族的」「種族的」と二重に訳されているのことがわかります。まじめに高校英語をやった人なら、誰でも指摘できるはずです。

この国際条約の第1条1の肝心な「人種差別」の定義で、日本政府/外務省がこれほど初歩的なミスをするのは困ります。とにかく早く訂正することを提案しておきます。


さて本題に戻りますが、ここで重要なことは、条約における「人種差別」という定義は、包括的かつ具体的なものであり、「生物学的諸特徴」や「文化的諸特徴」の「共有」のみを強調する日本政府の解釈とは異なるということです。

特に現在の沖縄/琉球の人々のアイデンティティー/カテゴリーの構築や維持においては、条約の定義で示されているdescentという概念が非常に重要です。これは、日本政府/外務省は「世系」と訳していますが、人類学では「出自」と訳されます。「生まれ」「特定の祖先」という意味になります。

明治以降の同化政策や、沖縄/琉球以外の人との婚姻を通して、「日本の人」との「生物学的諸特徴」や「文化的諸特徴」の「共有」が行われてきたなか、沖縄/琉球の多くの人々は、この出自の関係を通して、沖縄/琉球の民族的アイデンティティー/カテゴリーの構築や維持してきています。日本政府は、このことをしっかりと理解すべきです。

沖縄という場所で、沖縄/琉球の親の下で生まれ、それゆえ自らを「沖縄/琉球の人」と認識する。多くの沖縄/琉球の人は、この土地で暮らし、それゆえ歴史が生み出した基地の集中という現実に向き合わさせられている。これはまさに、人種差別撤廃条約が定義する「人種差別」にあたいする。これが今回のCERDの見解や要請の根本にある議論です。日本政府はその議論をきちんと受け止めるべきです。


2)今回のCERDへの回答にあたっては、日本政府もっときちんとした現地調査や文献調査を踏まえて回答するべきです。

日本政府は「総論」で以下のように述べています。

「この点に関し、人種差別撤廃委員会(以下、「委員会」 という。)のいう「Ryukyans/Okinawa, an ethnic group」、「other Japanese residents of Okinawa」、「the residents of Takae」、「the people of Okinawa」、 「the ethnic communities living in the area」がそれぞれ厳密にいかなる人々 のことを指しているかは必ずしも明確でないが、一般的に言えば、沖縄県に居住する人あるいは沖縄県の出身者がこれら諸特徴を有している、との見解が我が国国内において広く存在するとは認識しておらず、よってこれらの人々は本条約にいう人種差別の対象とはならないものと考えている。」

これも非常に痛い回答です。要請をもらってから3ヶ月もあるのだから、きちんとここで言及されている人々が誰なのかを調べることが出来たと思います。これは日本政府の怠慢であり、要請を真摯に受けとていないことの表れだともいえます。

ここで重要なことは、CERDがなぜこのように沖縄に住んでいる人々を区別をし、検証を求めているかということです。それは、日本政府がこれまでずっと主張してきた「沖縄/琉球の人々=日本人」という認識が、実際の状況にあてはまるのかを日本政府に検証させるためです。

沖縄におけるデモグラフィックの現状は、1)琉球/沖縄の人としてアイデンティティーを持つ人々がマジョリティーを占めている、2)しかし、仕事、学業、婚姻等、さまざまな理由で本土から沖縄に移住して住んでいる人々がいる、3)そして両者が、日常の暮らしのなかで、国籍や国民を示す意味での「日本人」としてのアイデンティティーは共有しながらも、多くの場合、「ウチナーンチュウ」/「ヤマトンチュウ」等の異なる民族的なカテゴリーを、お互いに意識しながら暮らしている、4)さらには、外国籍の人々も、「ウチナーンチュウ」/「ヤマトンチュウ」という異なるカテゴリーが存在することを意識しながら暮らしている、と捉えるべきだとと思います。

上にも書きましたが、長い間の同化のプロセスや、ウチナンチュー/ヤマトンチュー間の婚姻の結果として、日本政府がいうように、「沖縄/琉球の人」も「日本人」も多くの「生物学的特徴」「文化的特徴」を共有しているかもしれません。しかし、沖縄という場所においての「Ryukyans/Okinawa, an ethnic group」、「other Japanese residents of Okinawa」、「the residents of Takae」、「the people of Okinawa」、 「the ethnic communities living in the area」は、決して「日本人」とひとくくりにされるカテゴリーではなく、それぞれの出自/民族に対して、特別な意識をもった人々のカテゴリーなのです。


日本政府の回答は、「沖縄/琉球の人=日本人」というこれまで繰り返してきた主張を続けるために、CERDの要請を無視し、「Ryukyans/Okinawa, an ethnic group」、「other Japanese residents of Okinawa」、「the residents of Takae」、「the people of Okinawa」、 「the ethnic communities living in the area」について、沖縄に赴いて検証することをあえて行わなかったのではないか、と言われても仕方ないはずです。

さらに付け加えれば、人類学や民族学等において、日本政府のように「琉球/沖縄人」と「日本人」を同じ民族として捉える研究は、なかなかみることができません。勿論「同祖論的」な議論は沢山ありますが、これももともとは、相違があるという事実が存在して、はじめて成り立つ議論です。日本政府がこれまでのように「琉球/沖縄の人=日本人」という主張を続けるなら、何を根拠にその主張を続けるのか、きちんと文献や研究調査を示されるべきです。(その際に、匿名研究者や匿名専門家の意見や研究結果を出すのは止めてください。国際社会では通用しないはずです。)


「差別的意図はない」という見解について
日本政府は、辺野古や大浦湾における基地建設や、高江におけるヘリパッド建設には「差別的な意図に基づくものではない」としています。まるで免罪符であるかのように「意図はない」と何度何度も使っています。

しかし、「意図がないので差別にならない」というこの理論は、歴史の中で作り上げられた差別の構造ゆえに、今なお苦しめられている人々が存在することを全く無視した見解だと考えます。

現在そこに差別的意図が存在するかどうか、それだけが問われているのではないはずです。
そこに、あからさまな差別的意図がなくても、歴史やそれまでの社会構造や制度の結果として差別が存在するかどうか、差別が存在するならばどのようになくしていくべきか、それを考え、実行していくのが「人種差別撤廃条約」の批准国の役割であるはずです。

日本政府は、もう一度この「差別的意図はない」という見解を自ら問い質す必要があります。


沖縄BD 吉川秀樹


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