<枯れ葉剤>米政府報告書の構成と国防総省要約仮訳をアップ

2013年05月12日/ 枯れ葉剤

<枯れ葉剤>米政府報告書の構成と国防総省要約仮訳をアップ3月に米国政府から日本政府に出された枯れ葉剤の申し立てに関する調査報告(沖縄BD記事はこちら <枯れ葉剤>米国政府による沖縄の枯れ葉剤についての報告書が公開(2013.3.9)に関して、日本政府(外務省那覇事務所)と沖縄県基地対策課に問い合わせてみました。
 
 日本政府はこの報告書については、問題があるとは考えていないようで、特に同報告書に関する行動計画もないようです。3月に沖縄県基地対策課には概要の説明を行ったとのことでした。
 
沖縄県基地対策課は、報告書の翻訳はつけたとのことですが、検討分析までは至っていないようで、今のところ、翻訳の公開予定もないととのことでした。

 市民、特に沖縄県民はこの報告書の内容について知る権利がありますし、日本政府、沖縄県とも市民に説明をする責任があると思います。しかし現在のところその動きがありませんので、引き続き要求をしていくつもりです。
 
 沖縄県の基地対策課が様々な問題の対処に追われている中、問題となっている文書を翻訳していることは、沖縄BDとのやりとりや県議会でも明らかになっています。この点は、評価したいと思います(やっとここまで来たかという感じでもある)。沖縄県自らが全面調査にとりくむことがまずは望まれますが、その前に、これまで翻訳をしたものを、県民に積極的に公開してほしいと思います。税金で行われている業務ですし、その情報は隠される理由はありません。むしろ公開の責任があるといえます。その情報にもとづいて、県と県民が協働作業をしていけばよいのではないでしょうか。県の作業の成果を県民の目に届かせ、枯れ葉剤問題の解決に役立たせることが、まずは沖縄県のできる第1歩ではないかと考えます。
 
 しかし...翻訳の公開をただ待つのもよくないので、ここに調査報告の構成がどのようなものであるかを示すものと、国防総省が作った要約文書の仮訳をアップしておきます。お気づきの点ありましたらご指摘ください。いい加減、こういう代行業的なことをするエネルギーを市民団体に費やさせるのはやめてほしいですが。訳すのに値するようないい文書をもっと私たちも翻訳したいです。これだけ見ても、問題点ははっきり見えないかもしれませんが、報告書本体の和訳は沖縄BDではつける予定はありません。翻訳に費やすエネルギーは、反論レポートを書く方に使いたいと思います。これを調査報告と許してはならないので。
 
 先日、来沖した米ニューメキシコ州の平和市民団体「ピースフル・スカイズ連合」のキャロル・ミラー会長はオスプレイ配備のための米国政府が出した「環境レビュー」を沖縄への「侮辱」と評しました。(動画はこちら)この枯れ葉剤の調査報告は報告書としての体裁も整っていない「環境レビュー」以下のものだと私たちは考えています。
 このような報告書を出した米国政府、出された日本政府、説明を受ける沖縄県、そしてその説明を待つ沖縄県民。枯れ葉剤の件で「信頼関係」という言葉を用いていい関係はこのそれぞれの関係性の中にあるでしょうか。もしその言葉を用いたいのならば、この報告書を真摯に検証し、内容に向き合うことが必要だと思います。
 枯れ葉剤問題は、「真相解明」の道の上に、この関係性の構築の問題を載せていくことが重要だと考えています。情報公開、説明責任、市民参加、合意形成、これに日米地位協定、基地返還、跡地利用といった問題が絡んできて、本当に難しい問題です。でも沖縄の市民団体からの枯れ葉剤問題のアプローチはまさにそこを意識していなければならないでしょう。

 これからいろいろな方面から反論がでてくることと思います。私たちも、市民の立場から反論の声をあげなければ、なめられて終わり、ということになってしまいますので、上述した沖縄のアプローチを意識した反論を書いていくつもりです。
 
 Alvin L. Youngの報告書「日本国沖縄における枯れ葉剤の申し立てに関する調査」の構成
-2013年1月31日付けのWilliam Nicholls, Deputy Director, Environmental Safety & Occupational Health (International Environmental Programs, Office of the Deputy Under secretary of Defense (I&E) への手紙

-本文
・要約(エグゼクティブサマリー)
・序文
・沖縄における枯れ葉剤に関する主張
・報告の概要
・調査文書
・商用除草剤と戦術用除草剤
  商用除草剤
  戦術用除草剤
・商用除草剤の管理についての要約
・戦術用除草剤(例、エージェントオレンジ)の管理についての要約
・主張に関する検証/評価 (*主張に関しては国防総省の要約を参照)
主張1 
主張2
主張 3
主張4
主張5
主張6
主張7
・要約と結論

-参考文献

-謝辞

-著者の経歴(Dr. Alvin L. YoungとKristian L. Young)


Alvin L. Youngの報告書「日本国沖縄における枯れ葉剤の申し立てに関する調査」の国防総省による要約(仮訳

2012-13 枯れ葉剤調査
主張と報告の要約:
主張1. 枯れ葉剤と他の戦術用除草剤は1961-1962年に沖縄のジャングル地域で実験され、評価が行われた。
 
   ・沖縄での枯れ葉剤の実験と評価を示す記録も通信記録もない。枯れ葉剤はアジャイル計画の一部として南ベトナムで実験されたのであって、沖縄では行われていない。また、枯れ葉剤は1965年までベトナムで使用されていなかった。

主張2. アジャイル計画において、1962年初頭、ベトナム戦争中、国防総省によって枯れ葉剤と他の戦術的除草剤が沖縄に、あるいは沖縄を通して船で輸送された、あるいは沖縄で積荷をおろした、または使用された。1960年代初期に商船SSシャイアー・オーティス・ブランド号(T-AK277)が米国から沖縄に枯れ葉剤を輸送した。

   ・除草剤の船の輸送に必要とされる船舶航海日誌や航行記録は、1961年12月、ピンク剤やパープル剤がサンフランシスコからSSブランド号でベトナムに直接輸送され、ベトナムに1962年1月に到着し、その後、ベトナムで完全に積荷が降ろされたことを示している。
船舶航海日誌でSSブランド号が沖縄へ戻り、1962年4月25日にホワイト・ビーチで機密の積荷を武装警備の監視するなか、積み卸したことが示されているという主張を裏づける記録はなかった。また、1965年までベトナムで枯れ葉剤は使用されていなかった。

主張3. 牧港補給基地(現、浦添市に接する米国海兵隊キャンプ・キンザー那覇港の一部である牧港補給地区)に隣接する那覇港と嘉手納空軍基地は、ベトナム戦争中、” USSコメット、SSシーリフトやSSトランスグローブといった商船”で、ベトナムへ船で次々と輸送される、あるいは空輸される大量の枯れ葉剤の受け取りに使用された。

  ・これらの3船舶によって戦術用除草剤が船で輸送されたことが認められる記録は発見できなかった。この種の船舶は、除草剤の入った重いドラム缶を輸送するのには適していない。記録文書では、船で輸送された戦術用除草剤は輸送において最優先度をもってベトナムに輸送されている; よって、不必要な寄港、積荷の積み卸し/積み替えあるいは貯蔵で輸送が遅らされることはなかったであろう。戦術用除草剤は、ベトナムに船で輸送されたのであり、空輸はされなかった。

主張4. レッドハット作戦間の1972年にジョンストン島への輸送の前に、ベトナムからの枯れ葉剤の余剰分「25000のドラム缶」が沖縄に船で輸送された。

  ・枯れ葉剤はペイサー・アイビー作戦の一部として、直接ベトナムからジョンストン島へ船で輸送されたのであり、レッドハット作戦で行われたのではない。レッドハット作戦は1971年に行われ、沖縄からジョンストン島に神経ガスの撤去を含むものである。2003年の報告書『ジョンストン環礁の生態アセスメント』に関しては、沖縄の枯れ葉剤の貯蔵についての記載は不正確であり、米国陸軍の承知している事実を反映したものではない。この報告書は米国陸軍の資金により、独立して準備された報告書であり、軍事行動によるジョンストン島の生態系の状態や影響を評価するものである。この報告書は、枯れ葉剤に関する履歴を記録することを目的としたものではない。

主張5. 大量の枯れ葉剤が「ハンビー飛行場の北谷町に/周辺に」埋設された、また/あるいは「牧港補給基地(補給地区)近くのホワイト・ビーチに埋設された、また/あるいは「宜野湾市近くの普天間飛行場の近くに埋設された」

   ・枯れ葉剤が牧港補給地区[MSA]の海岸線で発見された、あるいは埋設されたという証拠や、普天間飛行場近くの浄化作業においての農薬、枯れ葉剤、ダイオキシンあるいはPCBについての言及はない。

主張6. 米国貨物船が那覇港近くのリーフで座礁し、枯れ葉剤のドラム缶が修復されて後に沖縄で埋設された。

   ・LST-600あるいは”USSカレント“の履歴のどちらにもドラム缶、枯れ葉剤あるいは「他の貨物」の記述を示す歴史的な証拠はない。USNS LST 600は1968年12月22日に干ノ瀬リーフを航行しており、1969年1月17日に離礁している。USS カレントはクリスマスの日にLST600から積荷を降ろすために到着した。降ろされたドラム缶は石油製品であった。また、ベトナムへの枯れ葉剤の最後の船による輸送は1968年の5月であった。

主張7. 沖縄で従軍していたベトナム戦争時代の退役軍人の多くが枯れ葉剤を扱い、散布した、あるいはC-123により散布されているのを目撃した。さらに、嘉手納空軍基地で汚染された飛行機を洗浄したと主張する退役軍人も存在する。

   ・このような主張を裏づける証拠はない。しかし、除草剤ではなく、承認された殺虫剤は沖縄で散布されていた。ランチハンドUC-123-BとKモデルの修理は沖縄ではなく、台北で行われていた。

下記のアーカイブにある文書記録が、最も最近に行われた調査において調査された。
(アーカイブ名は略)
(翻訳:Okinawa Outreach)



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Posted by 沖縄BD at 20:14│Comments(0)
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