<枯れ葉剤>退役軍人スコット・パートンさんが亡くなられた悲報に寄せて

沖縄BD

2013年05月01日 00:26

 沖縄の枯れ葉剤で、証言をなさっていた退役軍人のスコット・パートンさんが4月21日に心臓発作で亡くなられたという悲報が届きました。享年60歳でした。ジョン・ミッチェルさんの記事の中にでてきた退役軍人の方の訃報はゴーツさんに続き、2人となりました。でも、まだまだ私たちの知らない方が、無念のまま亡くなられたり、補償を受けることなく病に苦しんでいることは想像に難くありません。
 
 共に闘ってきた、そして最近まで会話を交わしていた仲間をおくった、残された退役軍人も悲しみと無念のうちにあります。 
 
 退役軍人のひとりひとりが勇気を持って名前を出して証言をしてくれたこと、ジョン・ミッチェルさんがそれを記事にしてくれたことで、「退役軍人」という集団ではなく、名前と顔を浮かべられる友としての退役軍人の一部の方と私たちはつながることができています。しかし、それゆえに退役軍人の方が亡くなった、ということではなく、沖縄でキャンプ・フォスターにいたゴーツさん、シュワブにいたパートンさんが亡くなったという報せが届くことは沖縄にとっても、悲しみが深いのです。

 スコット・パートンさんは、上に記したように、キャンプ・シュワブでのエージェント・オレンジのドラム缶を目撃したことを証言しています。その証言を基に、名護市議会が日本政府に2011年調査を実施する要請を決議しました。また、2012年には名護市長からも、外務省への情報提供要請が出されています。<枯れ葉剤>名護市の要請と外務省回答(2012年11月24日)
この写真で記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
 
 
 ここで、2011年、名護市議会に提出したパートンさんの証言の翻訳を掲載したいと思います。この証言を葬らせることなく、日米両政府、沖縄県が全ての退役軍人の証言を尊重し、2世、3世のサバイバーも含む全ての人に、そして沖縄で正義が追求されることを願い。
The interview with Scott was on July 8th 2011 - by email.
スコット・パートン氏の証言(2011年7月8日電子メールによる)仮訳
[パートン氏本人の証言をそのまま掲載。スペルミスなどは原文のまま]

Scott Parton on his experiences with Agent Orange on Camp Schwab
スコット・パートンのキャンプ・シュワブにおける枯葉剤(エージェント・オレンジ)の体験

1. “The barrels in the background had liquid and the paint was being burned off. The one barrel in the middle with the red stripe had a small amount of Agent Orange. I put my hand in there to pull out the trash that I threw in there as we were told not to put trash in them.”

背景にあるドラム缶には液体が入っていて、[表面の]塗料は焼き落とされていました。中央の赤縞のあるドラム缶には、少量の枯葉剤が入っていました。そのドラム缶にはゴミを入れないようにといわれていたので、自分が入れたゴミを取り出すために、私は手をそこに入れたのです。

2. “The small amount that was in the barrel was liquid. I got some on my hands while retreiving the garbage out of the barrel. There was slight burn and I was told to wash my hands immediately. I rubbed my hands in the sand and went into the ocean for a swim. A NCO from supply was present and said,"Use the yellow barrels marked for trash. Do not touch or throw trash in the other barrels." He told my squad, "There is some hot sh*t in there." I recognized the smell and the paint on the barrels. At the supply shack there were barrels stacked on pallets on the side 2 to 3 teirs high on the side and about 4 rows in width. There were about 50 barrels or maybe more and that they were covered up with a large tarp to conseal and the area were off limits to personel.

We were sent on a working party to assist with chopping weeds and their were personel using backpacks to spray herbicide and a few of us got sprayed by accident. I recognized the smell from the supply shack because there were leaking barrels.

The type of health issues I am having are: Swollen prostrate in the mid '80, stroke in 1992 was a result of liver going haywire and producing to much tryglysorits, high colestrial, diabetes type 2. I filed a claim for exposure to AO.”

そのドラム缶にあった少量のものは液体でした。ドラム缶からゴミを取り出す時に、その液体が私の手に少しついてしまいました。軽いやけどをし、すぐに手を洗うようにいわれました。手を砂の中にいれてこすり、一泳ぎしに海に入りました。一人の兵站部の下士官[NCO, noncommissioned officer]がそこにいて、「ゴミは、ゴミ用としるされた黄色いドラム缶を使うように。他のドラム缶には、触ってはいけないし、ゴミを捨ててはいけない。」といいました。彼は、私の所属する隊に「この中には熱いクソ(?sh*t)があるんだ」といいました。私は、その匂いとドラム缶の塗料を覚えていました。

兵站用のバラック(兵舎)の中には、2-3缶の高さに 積み重ねられたドラム缶が約4列(フォークリフト用の)荷台に置かれていました。ドラム缶は、約50缶、あるいはおそらくそれ以上あって、それを隠すために大きな防水シートで覆われていて、その地帯は、兵員は立ち入り禁止区域となっていました。

私たちは、雑草を刈り取るのを手伝うための、作業班として送られました。除草剤を散布する背負い型の機材を使用している人たちがいて、私たちの内、数人は、誤って除草剤を浴びてしまいました。私は、[この除草剤の匂いは]兵站用のバラック(兵舎)からの匂いと同じものだとわかりました。[兵站用のバラックの中のものには中身が]漏れているドラム缶があったからです。

私の現在の健康上の問題は以下のとおり:1980年代に発症した前立腺肥大、肝機能障害と高い中性脂肪値[triglyceride?]の結果起こった1992年の卒中、高コレステロール値、2型糖尿病です。私は枯葉剤に晒されたことへの補償の請求をしました。

3. “I was on Okinawa in Dec. 1970. to Nov. 1971. I was stationed on Camp Schwab and I was 19 years old. I was in a unit called, The Walking Dead, that was 1/9 delta company 3rd mar. div. 2nd platoon 2nd squad. The squad was having a party and somebody from battalion supply was burning the contense of the barrels. Yes that is me with the cigerette. There was other herbicides all over the camp. I didn't know what it was at the time. The maintenance personell and the supply personell was trying to keep it hidden.

The health problems I have from AO exsposure are Diabetes 2, High blood pressure. I had a stroke in 1992. I had a swollen prostate in 1979 and in 1993 I received a call and they said I was exposed to AO. I will get my daughter to take a picture of me and send it to you later.”

私は1970年12月から1971年11月まで沖縄にいました。キャンプ・シュワブに配置され、それは19歳の時でした。私は、「ウォーキング・デッド」と呼ばれるユニット/隊に所属していました。それは第2分隊第2小隊第3海兵隊部隊1/9デルタ歩兵中隊のことです。分隊は分遣隊があり、大隊兵站部からの誰かがドラム缶の中身を燃やしていました。そうです。タバコを持っている(くわえている)のは私です。他の種類の除草剤もキャンプ・シュワブの基地全体にありました。当時はそれが何だかわかりませんでした。管理兵員と兵站兵員はそれを隠そうとしていました。

枯葉剤に晒されることによる健康上の問題は、2型糖尿病と高血圧です。1992年には卒中を起こしました。1979年に前立腺肥大を発症し、1993年に電話があり、枯葉剤に晒されていたことを告げられました。私は、娘に私の写真を撮ってもらい、後で送ることにします。

(翻訳:Okinawa Outreach 河村雅美)

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スコッパートンさんについての記事は以下で読めます。

 「合意してないプロジェクト」の和訳:ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ暴露が懸案の普天間問題に影響か:有害な除草剤、沖縄で論争を呼んでいる飛行場移設予定地の基地内に貯蔵され、埋却の可能性もあると、病に苦しむ元米兵が主張」『ジャパン・タイムス』2011年10月18日。

(原文)Jon Mitchell, "Agent Orange Revelations Raise Futenma Stakes: Toxic Defoliant Stored, Possibly Buried in Camp Slated as Relocation Site for Contentious Air Base in Okinawa, Ailing U.S. Veteran Claims," Japan Times, Oct. 18, 2011

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